ハンガリーの首都ブダペストは中心部を流れるドナウ川を境にブダ地区とペスト地区に分かれていますが、その2つの地区を結ぶように、くさり橋・マルギット橋・エルジェーベト橋・自由橋の4つの橋が架かっています。
そのなかでもくさり橋(正式名称はセーチェーニ鎖橋)はブダ地区とペスト地区を結んだ最初の橋。
ブダペストで最も美しいことでも知られる有名な橋で、全長380メートルあります。
くさり橋が建設されるまでの歴史
くさり橋が建設されることになったきっかけは、セーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵という人のある経験によるもの。
ドナウ川にまだ橋が架かっていなかった時代、夏は舟橋と呼ばれる、並べた舟の上に板を乗せてつくる仮設の橋を使い、冬は凍ったドナウ川の上を渡っていたそうです。
ある時イシュトヴァーン伯爵は父が亡くなった知らせを受けて駆けつけようと川を渡ろうとしたのですが、舟橋が解体されており、川も歩けるほど凍っていなかったので向こう岸に渡るのに時間がかかってしまいました。
その経験から橋が必要だと考え、橋の建設が始まります。
それまでも橋の建設は何度か試みられたそうですが、いずれも上手くいかなかったのだとか。
これだけ広い川ですからね。当時の技術では橋を架けるというのはかなり大変だったのかもしれません。
イシュトヴァーン伯爵は橋の建設のために「ブダペスト橋同盟」をつくったり、架橋の技術が進んでいたイギリスに視察に行ったりしました。
その時に知り合った技師ウィリアム・ティアニー・クラークやアダム・クラークらの協力もあって、1849年にドナウ川に架かる初めての橋としてくさり橋がついに完成。
くさり橋の建設には10年の歳月がかかったそうです。
戦争で破壊されたくさり橋
くさり橋は対オーストリア独立戦争や第二次世界大戦によって破壊された歴史もあります。
戦後に橋は再建され、くさり橋が完成してから100周年を迎えた1949年に開通式が行われました。
なので現在のくさり橋の姿は、一度損傷したあと修復されたものです。
また、くさり橋は1956年に起きたハンガリー動乱ではソ連軍の戦車が渡ったり、1989年にハンガリー民主化運動で社会主義と決別した国民が国旗を持って喜んだ場所でもあります。
くさり橋を見守るライオンの像
くさり橋の象徴ともいえるのがライオンの像。全部で4頭います。
けっこう大きいです。
なぜ4頭のライオン像が橋の両側にあるのか理由はわからないですが、このライオン像に関する逸話がひとつ。
ライオン像を手がけたのはマルシャルコー・ヤーノシュという彫刻家なのですが、ライオン像に舌がないということだけで人々にからかわれて、マルシャルコーがドナウ川に投身自殺したのだとか。
でも実際は、ライオンは舌を垂らさないということで口の奥に彫ったそう。
じゃあ自殺しなきゃいいのにと思いますが、あくまで逸話です。
くさり橋はブダペストで一番美しい橋
くさり橋はブダペストに架かる橋のなかで一番美しいともいわれており、「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の一部としてユネスコ世界遺産にも登録されています。
ちなみにハンガリー建国1000年を記念してつくられた英雄広場も同じ世界遺産に含まれています。
英雄広場の記事はこちら
【英雄広場はハンガリー建国1000年に建てられた広場】
夜になるとドナウ川に架かる橋はライトアップされます。もちろんくさり橋も。
ブダペストの夜景はかなり綺麗で、橋の他に国会議事堂もライトアップされます。
【ハンガリーのブダペストにある国会議事堂が夜になると綺麗すぎた】の記事で書いているので読んでみてください。
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