熊野那智大社は和歌山県の那智勝浦町にある神社で、那智山青岸渡寺(せいがんとじ)とともに熊野信仰の中心地として栄え、古くから多くの人に信仰されてきました。
また、熊野速玉大社・熊野本宮大社とともに熊野三山の一つでもあります。
そもそも那智大社がある熊野という地の「クマ」とは、「奥まったところ」や「隠れたるところ」という意味があって、そこは上座であり聖なる場所だと位置付けられています。
クマとカミには同じ意味があり、「クマノ」というのは「カミの野」で神々が住む地であることを示しているのだとか。
熊野那智大社へ
まず、熊野那智大社までの道のりを簡単に写真で紹介。
大門坂を上がって、熊野那智大社へ向かったのですが、
熊野那智大社はけっこう高いところにあって、
坂や階段ばかりなのでけっこうきついです。
最後の階段をのぼりきると、御本殿や拝殿があるのですが、とりあえず休憩。
けっこう高いところまでのぼってきたんだなぁと思いました。
周りは見渡すかぎり山ですがいい眺めです。
熊野那智大社の歴史
歴史については、熊野那智大社にあった案内書きの内容を載せておきます。
神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)がこの地に来て、八咫烏の案内で大和の地に着いて神武天皇となりました。
その時に那智の瀧を大己貴命(おおなむちのみこと)の御霊代として祀られたのが那智山信仰の起こりであると伝え、仁徳天皇五年(約1680年前)この地に社殿を建立したと伝えられています。
熊野那智大社は御祭神を熊野夫須大神(ふすみのかみ)、日本で最初の女神「伊弉冉命」(いざなみのみこと)を主神とし、十二柱の神々をお祀りし、全国に鎮座する約四千余社の熊野神社の御本社であります。
ちなみに御社殿は織田信長により焼き討ちにあいましたが、豊臣の代に再興されたのだとか。
また、その後も修復作業などが行われて、1995年に国指定文化財になり、さらに2002年より檜皮の穿き替えや丹塗りの塗り替えなどを行い、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産にも登録されました。
また、那智山社一帯は、吉野熊野国立公園特別地域でもあります。
こちらは拝殿です。
樟霊社胎内くぐり
これは天然記念物の那智の樟(くす)。
樹齢約800年で、高さ27メートル、根回り約8.5メートルもあるらしい。
この樟は、熊野三山造営の勅使として参った平重盛の手植えの樟だと伝えられています。
ちなみに根幹部は空洞化していて、「樟霊社胎内くぐり」というのができます。
樟霊社胎内くぐりについて
この老樟は古来樟の精にあやかって樟霊社とし、また、無病息災を祈り長寿を願って多くの人々に崇められています。
根幹部の空洞を通り抜ける「胎内くぐり」には備え付けの「護摩木」に願意・氏名を記入し、これを奉持して胎内に入り出口の護摩舎に納めてください。
僕も胎内くぐりしましたが、けっこう狭いのと、階段が急。
那智山青岸渡寺は西国第一番札所
胎内くぐりを後にして、もう少し進むと、那智山青岸渡寺(せいがんとじ)があります。
もともと、ひとつの修験道場だったのが、熊野那智大社とこの那智山青岸渡寺に分離したのだとか。
分離したといってもすぐ横にあるので、熊野那智大社を訪れる際は、この那智山青岸渡寺も参拝するといいかなと思います。
那智山青岸渡寺は熊野那智大社とともに世界遺産に登録されており、西国三十三ヶ所第一番札所としても定められています。
ここからは那智の滝と三重塔がいい感じに見えます。
Leave a Comment