フランス

コンコルド広場にはギロチンで1300人以上が処刑された歴史がある

フランスのパリで最も有名な広場、コンコルド広場。

コンコルドとはフランス語で「調和」という意味ですが、昔はこの広場で多くの血が流れた、激動な歴史があります。

マリーアントワネットをはじめ多くの人が処刑された広場

コンコルド広場は当初、「ルイ15世広場」という名前でした。

1775年にルイ15世の騎馬像を置くために造られたからです。

しかしフランス革命が起きると、ルイ15世の騎馬像は取り払われ、広場の名前も「革命広場」に。

そして騎馬像の代わりにギロチンが設置され、ルイ16世やマリーアントワネットをはじめ、1343名がこの広場で処刑されました。

その後、皮肉にもこの広場はコンコルド(調和)広場と名付けられたんです。

現在ではその名前の通り、平和的な場所となっているので、過去に多くの人がギロチンによって処刑されたという歴史があるなんて想像もつかないほどです。

オベリスクは広場のシンボル

コンコルド広場のオベリスク
コンコルド広場の中央には、1825年にフランスとの友好の証として当時のエジプト国王ムハンマド・アリから寄贈されたルクソール神殿の塔、オベリスクがあります。

これはクレオパトラの針とも呼ばれ、ニューヨークとロンドンにもあります。

※自分が撮った写真の映りがあまりにも悪かったので、写真はwikipediaから引用

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