第二次世界大戦が終わりに向かっていたとき、戦後の様々な問題を解決するために、ドイツのポツダムという町にあるツェツィーリエンホーフ宮殿で会議が行われました。
町の名前をとって、ポツダム会談といわれるものです。
小学校か中学校のときに日本史の授業で「ポツダム宣言」という言葉を聞いたことがあると思います。
そのポツダム宣言が採択された場所というのがツェツィーリエンホーフ宮殿です。
ポツダム宣言とは
第二次世界大戦時、他の国が降伏した後も交戦を続けていた日本に対して、アメリカ・イギリス・中国から無条件降伏などを求めた宣言が出されました。
それがポツダム宣言です。
ポツダム宣言を出した各国の名をとって、米英支三国共同宣言ともいわれるこの宣言を日本が受諾したことで、第二次世界大戦は終わりました。
ポツダムが会談の場所として選ばれた理由
ポツダム会談は、アメリカ合衆国・イギリス・ソビエト連邦の3カ国の首脳が集まって行われました。
出席したのはアメリカのトルーマン大統領やイギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン書記長などをはじめ、数名の重役たち。
ポツダム会談が行われた場所はドイツの首都ベルリン郊外にある小さな町ポツダムでした。
なぜそのような重要な会議をする場所にポツダムが選ばれたのかというと、第二次世界大戦による被害がベルリンよりも少なかったからだそうです。
ツェツィーリエンホーフ宮殿について
実際に会議が行われたのは、ポツダムにあるツェツィーリエンホーフ宮殿。
宮殿感はあまりありませんでした。
現在は半分以上の部屋がホテルとして使われているそう。
ツェツィーリエンホーフ宮殿は、ホーエンツォレルン家最後の王子ヴィルヘルム・フォン・プロイセンが家族と住んでいた宮殿で、その建物と庭園は1990年にユネスコ世界遺産に登録された「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」のひとつでもあります。
ポツダムにあるもうひとつの宮殿、サンスーシ宮殿も同じ世界遺産に登録されています。
サンスーシ宮殿については、サンスーシ宮殿はフリードリヒ2世の夏の離宮として建てられたの記事で書いています。
ツェツィーリエンホーフ宮殿の庭園はこちら。
円の中に赤い星がある花壇になっていて、赤い星というのはソ連を表しているのだとか。
そして肝心のポツダム会談が実際に行われたのがここ。
机や壁にはアメリカ・イギリス・ソ連の国旗がありました。
ここで戦後のことを決める重要な会議が行われていたんですね。
日本史においてはポツダム宣言を出されたこと、その要求をのんで降伏したことというのが、大きな出来事だったと思いますが、ポツダム会談は戦後の処理を決めるための会談で、外相会議の設立、ドイツ占領統治政策、ポーランド問題など様々な重要事項について話し合われました。
ポツダムが地名であることも知らなかった
ポツダム宣言というのはもちろん聞いたことがありましたが、ポツダムが地名というのは知りませんでした。
ベルリンに行ったときに、ポツダム宣言が採択された場所として知られているポツダムという町が近郊にあるということを知り、日帰りで行ってきました。
ポツダムのツェツィーリエンホーフ宮殿で、実際にポツダム会談が行われた場所を見るというのは、教科書で学んだこと以上に価値のあるものでした。
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