イタリア

火山の噴火によって埋まった町「ポンペイ」は1700年経っても残っていた!?

はるか昔から人が住んでいたポンペイ

イタリアのナポリ近郊にある古代都市ポンペイは紀元前700年頃にはすでに人が住んでいた集落がありました。

当時は幾度となく征服されローマの植民都市となりましたが、地中海沿岸地域に位置するポンペイは商業拠点として栄えました。

最盛期の人口は2万人だったとか。

現在では、「ポンペイ・ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータ遺跡地域」としてユネスコ世界遺産に登録されています。

今となっては遺跡としてだいぶ復興されていて、多くの観光客が訪れているのですが、実はポンペイは火山の大噴火によって埋まってしまった町なんです。

ポンペイを埋め尽くしたヴェスヴィオ火山の大噴火

ポンペイを埋め尽くすほどの噴火を起こしたのが、ポンペイの北西10キロに位置するヴェスヴィオ火山。

ヴェスヴィオ火山はギリシャ神話に出てくるヘラクレスが創造したものとして、信仰されていた山でした。

アマルフィの話にもヘラクレスが出てきましたが、本当に色んな話に絡んできますね。

まだ火山活動がなかったときには、この山の斜面にぶどう棚があり、ワインを運ぶための壺などが後に出てきたことから、当時はワイン醸造が主要な産業だったといわれています。

しかし、それも噴火が起こるまでのこと。

紀元前62年に起きた大地震の復興作業が進んでいた頃、悲劇の日は訪れます。

それが紀元前79年8月24日。午後1時ごろ。

ヴェスヴィオ火山が大噴火して、昼夜にわたって火山灰や石がポンペイに降り続いたそうです。

数時間後、噴火による火砕流が町を埋め尽くし、その火砕流や火山性の有毒ガスによってポンペイにいた人々の命は断たれました。

この火砕流が山を流れてきた速さは100キロ以上ものスピードだったそう。。

逃げることもできず、あっという間の出来事だったでしょうね。。

1700年の時を経て姿を現した町

火山灰や火砕流によって壊滅してしまった古代都市ポンペイは長い間手をつけられていなかったのですが、西暦1748年に再発見され、発掘作業が行われました。

驚くことに、火山の噴火からおよそ1700年の歳月が経っていたのにもかかわらず、建造物や遺品が当時のまま残っていたんです。

なぜかというと、町を埋め尽くしていたのは火山灰だったから。

火山灰など火砕流堆積物には乾燥剤の成分が入っていて、湿気を吸収していたから当時の人々の生活がそのまま保存されたんです。

そのおかげでローマ時代の遺品や様々な様式の壁画が発掘されました。

当時の人々の様子までもが保存されていた!?

一番驚いたのは、人の形をした石膏像。

当時のポンペイに住んでいた人の石膏像
ポンペイ遺跡を歩きまわっていると、人の形をした石膏像を見つけました。

最初は面白半分でふざけてこういうのを作って少し不謹慎じゃないかなとか思ったのですが、実は当時の人々の姿を忠実に再現したものでした。

長い年月が経っていたので、火山灰の下にあった人々の遺体は腐敗してなくなり、その部分だけ空洞ができていたそうです。

当時のポンペイに住んでいた人の石膏像
そこに考古学者たちは石膏を流し、固めて作られたのが人の形をした石膏像。

空洞に石膏を流して取り出しただけなので、まさにその形が生き埋めになった人々を再現しているんです。

先ほどのは一部なんですが、迫り来る火砕流から子供を守るように覆いかぶさる母親や、人だけでなくもがき苦しむ姿の犬など。。(撮った写真が見つからず申し訳ありません。本当はもっと地面に寝そべった状態の石膏像がありました。)

本当に当時の様子が目に浮かんできて悲しい気持ちになります。。

ポンペイ遺跡から当時の生活が見えてくる

ポンペイの整備された道
ポンペイを実際に歩いてみると、その規模の大きさや計画的に建設された都市であることがわかりました。

道も建物はすべて石ですが、道は舗装され整然と区画されています。

横断歩道としての役割をしている飛び石や、馬の手綱をとめておくところがあったり、昔ながらに知恵が生かされている部分が垣間見えます。

壁画には風景や神話、風俗など、様々なものがありました。

ポンペイの風俗的な壁画
中でも気になったのは風俗的な壁画。

これがけっこうリアルに描かれていて、けっこうな衝撃を受けました。

娼婦館があって、当時はまだ文字などなく、絵でそういうお店だということを表していたそうです。

商業都市として栄えていたわけですから、商人向けに娼婦館などの施設が多くあったともいわれています。

他にも商店やバー、レストラン、劇場などの公共娯楽施設、お風呂など、当時の生活の様子がよくわかるほど保存されています。

ポンペイのバー,ワイン入れ
ここはおそらくバーカウンターで、穴にワインを入れていたとか。

ポンペイの円形闘技場
これは円形闘技場です。

奴隷などをここで戦わせていたんですかね。

ポンペイの広場やスポーツ施設
広場やスポーツ施設のような場所もありました。

火山の噴火によってポンペイは壊滅し、多くの人が命を落としました。

ですが長い年月を経て現れたポンペイは、当時の様子を私たちに見せ、感じさせ、色々考えさせてくれたのではないかと思います。

おそらく2〜3時間は炎天下のなか歩き回りましたが、発見と驚きと連続でした。

よかったのは当時の生活を垣間見ることができたこと。

それが2000年以上も前の人々の生活かと思うと驚きです。

生活の基本なるものは2000年前も変わらないんですね。

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