レオナルド・ダ・ヴィンチの作品のなかで、数少ない完成された作品のひとつ「最後の晩餐」はイタリアのミラノにあります。
様々な技法によって描かれている「最後の晩餐」ですが、その絵には多くの謎が隠されていると言われています。
「最後の晩餐」はサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院にある
「最後の晩餐」とはレオナルド・ダ・ヴィンチがパトロンのルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望を受けて描いた有名な絵画です。
ちなみにパトロンとは以下のことで、ルドヴィーコ・スフォルツァ公はレオナルド・ダ・ヴィンチの初代パトロンだったらしい。
パトロン(英: patron)とは、後援者、支援者、賛助者、奨励者、または特権を持つ人や財政支援をする人をいう。
引用:wikipedia
「最後の晩餐」はイタリアのミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描かれたもので、大きさは420 x 910 cmとかなり大きいです。
【レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院】として、世界遺産に登録されており、現在もサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にあります。
「最後の晩餐」に描かれている情景
「最後の晩餐」はキリスト教の聖書に登場する、イエス・キリストが処刑される前夜の、まさしく最後の晩餐の様子を描いています。
キリストと12人の弟子たちがテーブルについて食事をしている一コマを描いているのですが、静かに食事をしているというよりも、何やら皆が言い合っているように見えるのは、キリストが「12人の弟子の中の一人が私を裏切る」と予言したから。
キリスト以外の弟子たちが慌てている様子が分かりますね。
ちなみに「最後の晩餐」は一点透視図法という遠近感を使った表現がされていて、まるで奥行きがあるかのようになっています。
奇跡の絵画とよばれている
「最後の晩餐」は1495年から1498年にかけて制作されました。
500年以上も時間が経っているので、かなり損傷が激しい状態になっています。
食堂の壁画として描かれたこともあり、食べ物の湿気などが絵の劣化を招いた原因となりました。
その後何度か修復は行われましたが、あまり良い結果にならなかったのだとか。誤った修復方法が絵画の侵食をさらに進めてしまったともいわれています。
そうして次第にレオナルド・ダ・ヴィンチが意図して描いた表現が失われていきました。
さらにはナポレオンの時代に食堂ではなく馬小屋として使われたり、ミラノ大洪水の被害を2度も受けたり、第二次世界大戦時の空襲で修道院の屋根が半壊したりと、壁画が残っているのがもはや奇跡に近いです。
壁画としての評価もさながら、激しい損傷がありながらも現存していることが、奇跡の絵画と呼ばれる理由。
「最後の晩餐」に隠された謎
「最後の晩餐」には多くの謎が隠されています。
有名なのは「ペトロの右手のナイフ」や「コップの数」についての謎。
少し見づらいですが、ユダの背後にはナイフを持った手が描かれています。
この手はユダの後ろにいるペトロの右手とするのが一番妥当ですが、絵画の損傷もあって判別が難しく、ナイフの向きもおかしいなどと、ペトロの右手かどうかは謎とされています。
もう一つはテーブルに置かれたコップの数。
キリストと12人の弟子が席についているため、全部で13個のコップがあるはずですが、12個しかないとの意見があります。
写真では正直あまりわかりませんが。
「最後の晩餐」を見学するには
最後の晩餐を見学するのは完全予約制となっているそうですが、僕が行ったときはなぜか予約せずに見ることができました。
1グループ25人ずつが15分交代で見学するので、人数の関係でたまたま予約せずにチケットを買うことができたのかもしれません。
つくづく運がいいなと感じます。
時間が決まっていたので、チケットだけ購入し、数十分後にサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に戻り、「最後の晩餐」を見学しました。
確実に「最後の晩餐」を見学したい方は、見学込みのツアーもしくは公式サイトや電話で予約をするのがいいでしょう。
予約をしていても余裕を持って30分前ぐらいには現地に行っておいた方がいいそうです。
僕は歩いて行きましたが、近くにトラム(路面電車)も走っていたので、わりとアクセスも良さそう。
ミラノに行った際は、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた有名な「最後の晩餐」を見学してほしいですが、見学時間が限られているため、壁画の表現技法や、ペトロの右手のナイフ、コップの数などの謎にも注目してみてください。
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