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春日若宮おん祭は平安時代から毎年続けられてきた奈良の一大行事

奈良の春日大社に伝わる若宮おん祭は、平安時代から一度も途切れることなく続けられてきた行事で、国の重要無形民族文化財にも指定されています。

おん祭りは毎年12月16日〜18日にかけて行われ、17日には、奈良のまちを練り歩く時代行列「お渡り式」というものがあります。

春日若宮おん祭とは


春日若宮おん祭(かすがわかみやおんまつり)とは、春日大社の摂社(本社の祭神と縁の深い神を祭った社)である若宮神社の例祭で、1136年に藤原忠通が国の安泰や豊作を願ってはじめたものです。

それから一年も欠かすことなく、毎年行われてきました。

12月16日には、祭典の無事を祈る行事、宵宮祭(よいみやさい)が行われ、18日には奉納相撲というのが行われるのですが、なんといってもメインは17日。

17日の午前0時になると、「遷幸の儀」といって、若宮様が参道脇の御旅所にお遷りになる儀式が行われ、同日の正午からはお渡り式があります。

お渡り式は、巫女、稚児、芸能集団らによる華やかな行列で奈良のまちを歩く、おん祭のメイン行事。

途中には芸能の披露もあります。

そして午後11時、「還幸の儀」というのが行われます。

遷幸の儀と還幸の儀の間は24時間以内でなければならない事になっているらしく、午後11時には遷幸の儀が行われて、0時までに神社に戻るようになっているのだとか。

お渡り式について

お渡り式とは一般的に、ご神霊が多くのお供を従えてお旅所の行宮(あんぐう:天皇の行幸のときに旅先に設けた仮宮)へ遷られることをいいますが、おん祭の場合はご神霊の行列ではなく、すでに行宮へ遷られた若宮神のもとへ、芸能集団や祭礼に加わる人々が参る行列のことをいいます。

奈良県庁前を出発し、登大路を下って近鉄奈良駅を通り、JR奈良駅前からまっすぐ三条通を登り、若宮の神が1日だけ旅を楽しむお旅所へと向かいます。

行列には先導役の人たちに続いて、次のような集団が、伝統的な衣装を身にまとって、次々と練り歩きます。

  • 第一番 日使(ひのつかい)
  • 第二番 神子(みこ)
  • 第三番 細男・相撲(せいのお・すもう)
  • 第四番 猿楽(さるがく)
  • 第五番 田楽(でんがく)
  • 第六番 馬長児(ばちょうのちご)
  • 第七番 競馬(けいば)
  • 第八番 流鏑馬(やぶさめ)
  • 第九番 将馬(いさせうま)
  • 第十番 野太刀(のだち)他
  • 第十一番 大和士(やまとざむらい)
  • 第十二番 大名行列(だいみょうぎょうれつ)

ただし、芸能の披露の関係か、歩く順番は多少違います。

第一番 日使(ひのつかい)

梅白枝と祝御幣
赤衣(せきえ)に千早(ちはや)と呼ばれる長くて白い布を肩にかけて地面を引きながら、日使を先導して進むのが「梅白枝(うめのずばえ)」と「祝御幣(いわいのごへい)」。

梅白枝と祝御幣
白布はこんなに長いです。

十列児
続いて、馬に乗る4人の稚児、「十列児(とうつらのちご)」。

巻纓冠(けんえいかん)という頭にかぶったものに桜の造花を挿していて、お旅所では東遊(あずまあそび)というのを舞うのだとか。

日使
そして日使。

写真に写ってないですが、この後ろに馬に乗った人がいて、黒の束帯に藤の造り花を冠に挿しています。

ちなみに日使は、藤原忠通がこの祭に向かう途中に病にかかり、お供をしていた楽人にその日の使いをさせたことがはじまりです。

第二番 神子(みこ)

拝殿八乙女
白の被衣(かずき)の騎馬で進む女性が巫女、「拝殿八乙女」です。

また、春日大社では巫女を伝統的にミカンコと呼ぶらしい。

他に「辰市神子(たついちのみこ)」、「八嶋神子(やしまのみこ)」、「郷神子(ごうのみこ)」、「奈良神子(ならのみこ)」なども続きます。

辰市神子

八嶋神子

郷神子

奈良神子

第三番 細男・相撲(せいのお・すもう)

細男座
白衣姿の騎馬で進む6人の人たちは細男(せいのお)の一座。

身にまとってる白衣は浄衣(じょうえ)といいます。

細男座
神功皇后の伝説にちなむ、細男の舞を演じる集団なのだとか。

十番力士行司支証
あとには、細纓老懸(さいえいおいかけ)の冠に赤や緑の袍(ほう)を着た十番力士行司・支証が続きます。

第四番 猿楽(さるがく)

猿楽
猿楽(さるがく)は能楽の古名。

今は金春座(大和猿楽四座の一)が出仕しているが、もとは観世・金剛・宝生を含めた大和猿楽四座が出仕していて、おん祭はその格式高い競演の場として古くから有名です。

一の鳥居近くの「影向の松(ようごうのまつ)」の前で猿楽を披露するのですが、そこでは「開ロ(かいこう)」「弓矢立合(たちあい)」「三笠風流」を演じ、お旅所入口では金春大夫が「埒(らち)明け」を行われます。

第五番 田楽(でんがく)

田楽
華やかな五色のご幣をおし立てて、綾藺笠(あやいがさ)をつけ、編木(ささら)・笛・太鼓を持つ集団が田楽の座。

おん祭で行われる芸能のなかでも、その多くと関わりのある芸能集団です。

松の下では「中門ロ」「刀玉(かたなだま)」「高足」等を演じます。

第六番 馬長児(ばちょうのちご)

馬長児
山鳥の尾を頂に立てたひで笠をかぶり、背中に牡丹の造り花を負った騎馬の少年が馬長児(ばちょうのちご)。

その後には、腰に木履を一足吊り下げた従者が二人続きますが、この人たちは五色の短冊をつけた笹竹を持ち、龍の造り物を頭にのせています。

第七番 競馬(けいば)

競馬
競馬は、赤と緑の錦地の裲襠装束(りょうとうしょうぞく)に身を固め、細纓冠(さいえいかん)をつけた騎者の一行。

おん祭で走る馬
かつては、五双(二騎ずつ五回)が参道を走っていたらしく、馬出(まだし)の橋と馬止(まどめ)の橋というのが、当時のスタートとゴール地点だったみたいですが、現在は馬出橋から出発し、お旅所前の勝敗榊まで競います。

舞楽の蘭陵王と納曽利というのは、この競馬の左右の馬の勝負によって演奏された勝負舞で、競馬の勝敗によって左舞の蘭陵王と右舞の納曽利の順番が決められます。

第八番 流鏑馬(やぶさめ)

流鏑馬児
赤の水干に笠(つづらがさ)をかぶり、背に箙(えびら)を負い重藤(しげとう)の弓を手にした少年は揚児(あげのちご)・射手児(いてのちご)。

大和国内の士らは華やかな流鏑馬を神前で繰り広げたのだとか。

おん祭りでも14時半頃から一の鳥居内で小学生が流鏑馬を披露するのですが、この日は寒すぎたので見る前に帰ってしまいました。

第九番 将馬(いさせうま)

将馬
将馬(いさせうま)は、かつて大和の大名家中より奉った引き馬の名残りで、神前に馬を献じた古習を示すもの。

写真でわかりにくいですが、将馬は後ろ。馬の上には人を乗せないのが特徴です。

その名の通り、かつては馬をはやして勇みたたせたようです。

第十番 野太刀(のだち)他

野太刀
大きな野太刀を先頭に、中太刀・小太刀・薙刀(なぎなた)・数槍(かずやり)が続きます。

野太刀
先頭の野太刀は5.5メートルほどもあり、とにかく大きいです。

第十一番 大和士(やまとざむらい)

大和士
願主(がんしゅ)役・御師(おし)役・馬場役 ・大和士などの一団は、大和武士の伝統を受け継いだ集団。

おん祭はもとは興福寺衆徒が主宰していましたが、のちに衆徒(僧兵)や国民(武士)主催者のようになりました。

彼らは六党に分れて交代で願主人等を勤めていましたが、明治維新後は旧神領の人々がこれを勤めて現在に至っているのだとか。

第十二番 大名行列(だいみょうぎょうれつ)

子供大名行列
大名行列は、江戸時代からお渡りに加わったもの。

武家の祭礼の伝統を大和国内の郡山藩・高取藩などが受け継いで供奉しました。

上の写真は子供大名行列と呼ばれるもので、子供たちが元気よく歩いていました。

松の下式(まつのしたしき)

一の鳥居
最初は県庁近くで見ていましたが、そのあと、一の鳥居に移動して、行列が帰ってくるのを待ちました。

影向の松
春日若宮おん祭は多彩な芸能を奉納するもので、一の鳥居近くの影向の松(ようごうのまつ)の前では、猿楽や田楽なども披露します。

松の下式で披露される芸能
ちなみに影向の松は、能舞台の鏡板に描かれている松といわれ、春日大明神が翁の姿で万歳楽を舞われたという由緒ある場所でもあります。

お渡り式をして、この影向の松の前で松下の式を行い、最後にお旅所へと練り込みます。

そのあとお旅所祭というのがあるんですが、かなり長丁場になります。そして寒い。

僕はお渡り式だけ見て帰りましたが、じっくり見たい人はぜひお旅所祭も楽しむといいと思います。

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