名古屋に行ったらぜひ見ておきたいのが名古屋城。
名城(めいじょう)、金鯱城(きんこじょう・きんしゃちじょう)、金城(きんじょう)など様々な異名をもつ名古屋城は日本100名城に選ばれ、国の特別史跡にも指定されています。
また、名古屋城を中心として名城公園が整備されており、名古屋市民の憩いの場にもなっています。
地下鉄名城線「市役所」で降りたら、金シャチ横丁がありました。
お店が並ぶところを通り、名古屋城の入り口に向かいます。
正門よりも東門が近かったので、東門から入りました。大人の観覧料は500円です。
名古屋城の歴史
1609年、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が豊臣家からの攻撃に備えて、名古屋城の築城を決定。
翌年、家康は名古屋城築城のために、加藤清正・福島正則や西国大名20家に土木工事を命じました。
このように全国の外様大名などに命令して、土木工事を行わせることを天下普請(てんかふしん)と言います。
ちなみに城内の石垣には、各諸大名が他の大名の石と区別するために刻んだ多種多様な記号があるとか。(全然気づきませんでした。。)
名古屋城は1612年にほぼ完成。尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
また、築城に合わせてそれまで長らく中心地だった清須から町ぐるみの引っ越し「清須越」が行われました。
清正の石曳
大名のなかでも卓越した技術を持っていた加藤清正は天守の石垣を任されました。
これは加藤清正の像。巨大な石を運ぶにあたって、清正自ら石の上に乗り音頭をとったと伝えられており、その様子を模した像です。
東南隅櫓(辰巳櫓)
本丸の南東隅にある屋根が二重で内部が三階の櫓(やぐら)。
出窓には「石落し」があります。
本丸表二之門
加藤清正の像、東南隅櫓をすぎると、本丸南側の表二之門があります。
鉄板張りで木割りが太く堅固に造られています。
また、表二之門は名古屋城創建時の現存する数少ない建造物の一つです。
本丸表一之門跡
本丸大手(表門)の東側の石垣をまたぐように、表一之門(櫓門)が建てられていました。
北側と西側の石垣上には、多聞櫓(長屋状の櫓)が隙間なく建てられ、表二之門から侵入した敵を、櫓門と多聞櫓の三方向から矢で攻撃する構造だったといいます。
多聞櫓は1891年の濃尾地震で壊れ、表一之門は1945年の名古屋空襲で焼失しました。
名古屋城の天守閣は閉館中(2019年11月現在)
名古屋城本丸御殿が手前にありましたが、まずは奥にある本丸、名古屋城の天守閣まで向かいます。
名古屋城は1930年に城郭建築で初めて国宝に指定されましたが、1945年の名古屋空襲で本丸のほとんどが焼失。
それでも名古屋のシンボルとして再建してほしいと望む市民たちの声もあり、1959年に天守が再建されました。
再建された鉄骨鉄筋コンクリート造の天守は、昭和実測図に基づいて正確に外観を再現。内部は焼失を免れた本丸御殿障壁画(重要文化財)や武具、絵画を展示するなど、名古屋城の歴史を紹介する博物館としての役割を果たしていました。
しかし、
名古屋城は現在閉館中。。
理由は、再建から半世紀が過ぎて、設備の老朽化や耐震性の確保に問題があるから。
特別史跡名古屋城の本質的価値の理解を促進するため、豊富な資料に基づき、天守閣の木造復元を進めているとのこと。
中には入れないですが、近くまで行ってみました。近くまで行くとけっこう迫力があります。
それにしてもカラスが多い。
金のシャチ
名古屋城のシンボルとなっているのが、金のシャチです。
鯱(シャチ)は空想上の生き物ですが、水を呼ぶと言われることから火除けのまじないとされてきました。
名古屋城の創建時の金シャチは、徳川家の権力・財力を誇るもので、貼られた金の量は慶長大判で1940枚といわれています。
ちなみに南側が雌で、北側が雄だとか。
区分 | 雌(南側) | 雄(北側) |
---|---|---|
高さ | 2.579m | 2.621m |
重量 | 1,215kg | 1,272kg |
金板の種類 | 18K | 18K |
金板の厚み | 0.15mm | 0.15mm |
うろこの枚数 | 126枚 | 112枚 |
金量(18K) | 43.39kg | 44.69kg |
名古屋城本丸御殿
天守閣には入れませんでしたが、名古屋城本丸御殿は一般公開されていました。
名古屋城本丸御殿は尾張藩主の住居かつ藩の政庁として1615年に建てられたもの。天守閣とともに国宝に指定されましたが、この建物も空襲で全て焼失。
平成21年から復元工事が始まり、平成30年6月に完成。江戸時代の文献や昭和戦前期の古写真、実測図など豊富な資料をもとに、旧来の工法や材料を採用し、史実に忠実な復元を実現し、現在は内部が一般公開されています。
名古屋城本丸御殿は、日本を代表する近世書院造の建造物で、外観・内部ともに豪華絢爛でとても高く評価されているとか。
入ると下駄箱に靴を入れ、カバンを背負っている人は前で持つように言われます。手荷物のロッカーもあるので、預けてもいいかと思います。
内部は写真撮影OKですが、フラッシュは禁止とのこと。
玄関
入るといきなりあるのが豪華な玄関。玄関といっても造りは部屋で、本丸御殿を訪れた人がまず通されて、対面を待つ場所になります。
竹林と勇猛な虎やヒョウが描かれた金地の障壁画「竹林豹虎図」が飾られています。
対面所
藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた建物。
障壁画は「風俗図」と呼ばれ、京都や和歌山の四季の風物や名所が描かれています。
表書院
表書院は本丸御殿内で一番広い建物。正式な謁見(対面儀礼)に用いられました。
上段之間・一之間・二之間・三之間・納戸之間の5部屋からなり、江戸時代には広間と呼ばれていたとか。
なかでも上段之間は徳川義直が着座した部屋で、床と違棚、付書院・帳台構といった正式の座敷飾りを揃えています。
上洛殿
1634年の三代将軍家光の上洛に合わせて増築された建物。
上段之間・一之間・二之間・三之間、松之間、納戸之間の六部屋からなります。
襖絵・天井板絵など、とにかく豪華。豪華。豪華。
王の正しい行いを描いた障壁画「帝鑑図」や「雪中梅竹鳥図」は当時33歳の狩野探幽によるものだといいます。
西南隅櫓(未申櫓)
最初の方で東南隅櫓(辰巳櫓)を紹介しましたが、西南に立つのが西南隅櫓(未申櫓)。大きさとか構造は東南隅櫓と同じですが、石落しが西と南の二方向にあり、破風(はふ)の形状も異なっているとのこと。
1921年に災害で倒壊しましたが、1923年には修復されました。
内部を見れるとのことで、寄りました。
中からの景色はこんな感じ。
まとめ
400年以上の歴史がある名古屋城。今も昔も名古屋のシンボルです。
天守閣が閉館していたのは残念でしたが、一応外観と本丸御殿の中に入れたのでよかったです。
名古屋には名古屋城の他に熱田神宮という有名な観光スポットがあるので、そちらもおすすめです。
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