イギリス

ロゼッタストーンは古代エジプト語ヒエログリフ解読の重要な石碑

ロゼッタストーンは1799年にエジプトのロゼッタという場所で発見された、文章が刻まれた石碑です。

この石碑はヒエログリフといわれる古代エジプト語を解読するための重要な石碑として長い間研究されてきました。

ロゼッタストーンは大英博物館に展示されている

大英博物館
ロゼッタストーンを見ることができるのはイギリスのロンドン。世界最大の博物館である大英博物館に収蔵されています。

大英博物館
大英博物館に入るとこのようなガラス屋根の広間があります。

ロゼッタストーン
左に進めば古代ギリシア・古代エジプトのコーナーがあって、ガラスケースにロゼッタストーンが入れられて展示されています。

ロゼッタストーンの全体写真を撮ろうにも、おっちゃんが全然どけてくれない。

ちなみにロゼッタストーンは縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kgと、けっこう大きいです。

ロゼッタストーン
裏から見るとこのような感じです。ロゼッタストーンは大英博物館の中でも人気の展示品なので、人が集まっていました。

ガラスケースの中にあるから、写真撮ってもガラスに反射してうまく撮れないので、なかなかやっかいです。

ロゼッタストーンの解読が古代エジプト語を紐解く鍵

ロゼッタストーン
ロゼッタストーンには、このようにわけのわからない文字が並んでいて、昔の人たちはこれを解読しようとしたわけですが、ロゼッタストーンが発見されたときにまずわかったのは、石碑に刻まれた文章は3つの言語によって3段になって書かれているということ。

ロゼッタストーン
上から古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)、民衆文字(デモティック)、ギリシア文字になっているんですけど、なんとなく文章の区切りがわかりますかね。

ロゼッタストーン
ざっくりこういう感じです。

ロゼッタストーンはもう少し大きい石柱が損傷したものだと推測されていて、写真の通り、上部と右側が欠けています。

そのため文章は一部途切れていて、完璧に文章が残っているわけではないんです。

なかでも一番上のヒエログリフの文章が損傷の範囲が大きく、真ん中のデモティックの文章が一番良い状態で保たれています。

ロゼッタストーンの解読について

3段になっている文章は、言語が違うだけで内容は同じではないかという仮説が立てられ、ギリシア文字の文章の解読をきっかけに、古代エジプト語ヒエログリフをも解読できるのではないかとされたわけです。

ギリシア文字を翻訳することで、デモティックも翻訳できるかもしれない。そして最終的には2つの言語をもとに、ヒエログリフの文章を翻訳できると。

しかし、ロゼッタストーンの解読には長い時間を要することになります。

まずギリシア語の翻訳。

ギリシア語はロゼッタストーン発見以前から知られてはいましたが、ロゼッタストーンの文章には歴史的背景の内容、行政や宗教といったジャンルの専門用語が書かれていたため、翻訳するのが難しかったそうです。

ギリシア語が完全に翻訳されたのは、1803年のこと。

その後も研究が重ねられ、1814年にイギリスの物理学者トマス・ヤングが、デモティックの文章のなかで、異国人の名前を発音通りにつづっているのを発見します。

それをヒントに、フランスのジャン=フランソワ・シャンポリオンという人が、発音文字は異国人の名前だけではなく、エジプト語のつづりにも使われているということを発見し、1822年にデモティックとヒエログリフを解読します。

ちなみにWikipediaを見ると、ロゼッタストーンを解読したのは、ジャン=フランソワ・シャンポリオンもしくはトマス・ヤングと書かれています。

この「もしくは」というのは、解読に一番貢献したのはどちらかという論争もあったりするからです。

デモティックとヒエログリフを解読したと言ったのはシャンポリオンだけど、そのきっかけである発音文字の発見はトマス・ヤングじゃないか、ということですね。

解読されたロゼッタストーンの文章の内容

文章の内容は紀元前196年にプトレマイオス5世がメンフィスで出した勅令の内容になっています。

全文は長いため、内容の一部を引用しておくので、興味のある人は読んでみてください。
僕は3秒で読むのをやめました。

父の王位を継いだ若き者、王の中で最も傑出したる者、エジプトの守護者、神々にどこまでも忠実に仕え、敵に対し常に勝利を収め、王国全土に文明をもたらした……不死なる統治者、プタハ(エジプトの創造神)に愛されたる者であるプトレマイオスは、その治世第9年にあたりこの勅令を発布した……祭司長、占い師、神殿の侍者、王の扇持ち、神殿の書記、各地の聖所で奉仕する神官は、プタハに愛されたる不滅の王プトレマイオスの即位を祝うため王国全土から招集された。……神なる両親から生まれ、自身も神である者、エジプト全土の聖所とそれに仕える者たちに対して寛大で、自ら歳入の一部を彼らの給与や食料に充て、神殿の繁栄に努める者、プトレマイオス。彼は治世中、すべての者が富み栄えるために民の税を軽くした。国家に対して債務を負っていた数他の者たちを、それから解放した。投獄されていた者、裁判を待っている者たちに恩赦を与えた。エジプトへの侵入を企てる者たちを撃退するために軍馬、歩兵隊、海軍を備え、国家安全のために膨大な経費や穀物を費やした……
引用:wikipedia

古代エジプトの言葉を解読するためのロゼッタストーンをめぐる争い

ロゼッタストーンを発見したのは、フランス軍のピエール=フランソワ・ブシャールという人です。
ナポレオン軍がエジプトで軍事活動をおこなっていたときでした。

そのためロゼッタストーンはフランスが所有していたのですが、イギリスが1801年にエジプトでフランス軍を降伏させてイギリスに所有権がうつったり、エジプトが発見された場所にあるべきだと返還を求めたりと、ロゼッタストーンの所有をめぐって争っていました。

古代エジプトの言葉を解読できるのではないかという関心も非常に高かったので、当然といえば当然です。

降伏したフランス軍は「イギリスに渡すぐらいなら壊す」と言うぐらい拒んでいたそうですが、最終的にどうやってイギリスの手に渡ることになったのかは、正確な情報がないそうです。

結局本物は現在ロンドンの大英博物館に展示されています。
1972年にはシャンポリオンのロゼッタストーン解読150年を記念して、1ヶ月間ルーブル美術館に展示されていたこともあるそうです。

あとは日本のいくつかの博物館では、ロゼッタストーンの碑面レプリカが展示されています。

ロゼッタストーンの解読は多くの人による研究の賜物

ロゼッタストーンの解読には、学者だけでなく多くの人が挑戦しました。

シャンポリオンは古代エジプト学の研究者でしたが、トマス・ヤングは物理学者なので専門分野じゃないですしね。

いずれにしても、古代エジプトの言葉だけでなく、歴史をも紐解く重要な鍵となっていたロゼッタストーンの解読は、誰かひとりの功績というわけではなく、多くの人たちによる研究の賜物だと思います。

1 Comment

Leave a Comment